Collections

  • エディプス ブリューイングについて Oedipus Brewing 2009年ファウンダーのアレックス、ポール、サンダー、リック の4人はオランダ・アムステルダムに位置するアメリカンクラフトビアバー”ビアテンプル”で出会い、働いていました。 それまでオランダでは出会うことのなかった様々な味わいに魅了されていく中、若者たちがクラフトビールを楽しみコミュニティーができていく光景を目の当たりにし、彼らのなかで決意が固まります。クオリティーが高く、既成概念を崩すことのできるビールを造り、オランダのビールシーンを変えていこうと。 ホームブリューイングからはじめ、様々な原材料を試し、週に1レシピの仕込みを試すところからはじまります。プロフェッショナル、ホームブリュワー問わず、数えきれないブリュワーとの交流を経ながら経験を積み、できあがったビールを自ら持ち込み、多くのアートや音楽などのカルチャーのイベントに参加し、啓蒙活動を続けます。 2012年ようやく彼らの初めてのレギュラービールとなるモネリーフデが完成し、このビールが、”ビールの楽しみ方を変える”というエディプスのミッション・ステートメントとなります。 ビールはスポーツ観戦をする男性だけのものではなく、もちろん女性にも、全ての人のものであり、それぞれの好みで選ばれるものである。 2013年、クラウドファンディングで266人の€100,000を集め、商業ベースに乗せるためのブリューパブを手に入れます。しかし、供給が追いつかず、委託で他の醸造施設を借りながら醸造量を増やします。そして、ついに2015年、新しい土地に十分なキャパシティーのある新たな醸造施設を手に入れ、”エディプスヘッドクオーター”と呼ばれる実験的なラボやバレルルームを供えた施設を構え、アーティストやシェフを招きイベントを行う発信基地となっています。 ビールの味わいに対する自由な発想、それを形にする高い技術力をベースはもちろんのこと、クラフトビール×様々なカルチャーで創り出す、エディプスのカラフルな世界から目が話せません。... 

  • オルヴァル修道院について トラピストビール「オルヴァル」 オルヴァル修道院はベルギーよりもさらに小国のルクセンブルグと隣接するベルギー・ルクセンブルグ州南部フランスとの国境近くの森の中にひっそりと存在します。トラピストビールとして修道僧が責任者としてオルヴァル修道院にて醸造されるビール「オルヴァル」は瓶内3次発酵とドライホッピングという醸造法が有名で世界中から愛されています。ビールによる収益は修道院の存続や地域社会への還元が行われおり、ビールの世界においても例として近所のルル醸造所などへ酵母を分け与えるなど設立手助けやビールの品質管理を手伝ったり、地域の小さな醸造所のビールの展示会出展を補助したりとまさにビールによっての社会貢献を行う姿勢そのものも修道院ならではです。 マチルド夫人と鱒(マス)の伝説 この谷Valには伝説が残っています。イタリア、トスカーナ地方のマチルド伯爵夫人がこの地を訪れた際に、この谷にて結婚指輪を泉へ落としてしまいました。 夫人は「指輪が返してください。もし返していただければそのお礼としてこの地に修道院を建てます」と祈りました。 すると一匹の鱒(ます)が指輪をくわえ水面へと姿を現し、その様子がオルヴァルのラベルとなっています。マチルド夫人は「ここはまさに黄金の谷(Val d'Or)ね!」と喜んだと言われ、それがオルヴァル修道院やこの地域の呼称のもととなり、またマチルド夫人は約束通りそのオルヴァルにて修道院を建てたとされています。 そしてその鱒が指輪を加えてあがってきた場所はマチルドの泉といわれこのオルヴァル修道院内に存在する。この泉と同じ源泉がオルヴァルビールに使用されているのです。 ブレタノマイセス(野生酵母)と瓶内三次発酵 オルヴァル修道院のもともとの醸造方法はベルギーの一部にも見られる伝統的を利用していて世界中の醸造家が注目するものでした。現在は行っていないものの、以前は発酵釜を開放することによってブレタノマイセス(野生酵母)や微生物を取り込んでいました。以前のオルヴァルはボトリングから半年ほどたつと野生酵母の動きによって酸味があらわれオルヴァルにも様々な味わいが存在していたのです。現在は発酵釜は閉じられたものでありボトリング前に野生酵母をボトリング用のタンクに人の手によって入れられています。 ドライホッピング 閉じる... 

  • 🐰2023年🐰明けましておめでとうございます🎍🌸 新年にご来店いただき誠にありがとうございました! 1月4日~15日に直営店にご来店いただいたお客様限定で10%OFFのクーポンをプレゼントさせていただきます。※クラフトビールオンラインのみでご利用いただけます※決済時にクーポンコード「newyear2023」をご入力ください※利用期限:1月31日まで※お一人様一度限り ぜひこの機会に、お店でお楽しみいただいた直輸入や自社醸造のクラフトビールやワインをご自宅でもお楽しみくださいませ。 なかなか会えていない大切な方へのプレゼントにも♪  

  • 詳細を見る オード・ベルセル醸造所はブリュッセル南西部のベルセルにて創業も2002年11月に一度は閉鎖してしまいましたが、ブーン醸造所のフランク・ブーン氏と、ランビックブレンダーのドゥリー・フォンティネン醸造所が閉鎖時の樽にて熟成させているランビックを買い取りブレンドが細々と続けられていましたが、2005年にクリスチアン親子がオード・ベルセル醸造所を復活させました。正確にいえばブレンダーとして同じ町のドリー・フォンテイネンと同様様々なランビックをブレンドして作られています。最初にクリスチアン親子はランビック醸造の資金を捻出するためにもランビックとは違ったエール「ベルサリス」をデリリウムで知られるヒューグ醸造所の助けを借りて醸造しはじめました。 閉じる  

  • カズー醸造所について 父の廃業からの復興 カズー醸造所はベルギー最古の都市トゥルネーからすぐのテンプルーブの町に位置し、フランスの国境までも数キロの場所に位置します。1753年から代々続く伝統的な農家が営む醸造所でしたが、現在の醸造家の父の代である1969年に一度閉鎖を余儀なくされました。現在のローラン氏が2004年に再興し、トゥルネーの地域で唯一稼働している醸造所となっています。トゥルネーはベルギーでも最古の町と言われ、運河にかかるトル橋(13世紀に築かれた壁が残ったものの第二次世界大戦で壊され再建)からノートルダム大聖堂や鐘楼などの世界遺産を眺めたものがトゥルネーブランドのラベルとなっています。 非常に小さな醸造所でボトリングまですべて手動ですが、年に一度エルダーフラワーを漬け込んだ本物の花の香りを醸し出すセゾン・カズーなど野心的な試みを行う醸造所でもあります。この醸造所のローラン氏はルル醸造所のグレゴリー氏と大学時代からの旧友でもあり、ブリュセレンシスビアフェスティバルに参加する醸造所はどこも小さいが、最高の味わいを求めながらお互いを尊重しているという良い例です。 閉じる  

  • カゼマッタン醸造所について ピエール・セリスの夢「グロッテンビア」 ヒューガルデンの創業者であるピエール・セリス氏。彼はシャンパンを熟成させている洞窟を訪れた際に自らの手で洞窟で熟成させるビールを醸造したいと考えるようになりました。その夢は現実となりそのビールがグロッテンビア(洞窟のビール)となります。そのビールは世界で最も知られるビール評論家マイケル・ジャクソンにも世界の10に入る素晴らしいビールだと絶賛されました。ピエール・セリスはこのビールをデ・スメット醸造所(現アフリゲム醸造所)にて醸造を行っていましたがデ・スメット醸造所がハイネケン社に買収されたため、彼はセント・ベルナルデュス醸造所の助けを借りてグロッテンビアの醸造に晩年情熱を注ぐ事となりました。ピエール・セリスの死後、グロッテンビアはセント・ベルナルデュス醸造所の立ち上げた小さな城壁のほこらに作られたカゼマッタン醸造所で醸造され、グロッテン・サンテと現在呼ばれています。 城壁のほこら、小さなカゼマッタン醸造所の誕生 西フランダース州の美しい街イーペルは奇しくもちょうど100年前に始まった第一次世界大戦の主戦場となった場所です。この時にこの付近で使用された化学兵器イペリオットもそのイーペルという名前から来ています。イーペルでは毎日ラスト・ポストと言われる慰霊式がおこなわれ多くの戦死者をだしたイギリスから多くの人々が毎日訪れます。そのイーペルの町に醸造所をつくりあげるのは長い道のりでした。イーペル市議会と、この歴史ある街に感謝を表します。Houten Paard(木馬の砲台)のKazemattenは、ヴォーバンの築城法にもとづいて1680年代に建設されました。ヴォーバンはルイ14世の時代の軍人です。Kazemattenはイーペルの町を取り囲む城壁の一部を成していて、何世紀もの間この地下室は弾薬や軍事物資の保管に使用されていました。イーペルが包囲されている時、イーペルを守る軍隊はシェルターや寝床としても使っていました。指揮本部や野戦病院も設置されており、「ホテル・ド・ランパーツ」と皮肉られていました。さらにイギリスの有名であった戦時の新聞「Wiper Times」の本部がここにありました。そんな場所に、いま醸造所が誕生したのです。その醸造所は同じく西フランダース州にて世界に誇るビールを醸造するセント・ベルナルデュス醸造所のオーナー,ハンス氏と、同じく世界を代表するフランダース・レッドビール「ローデンバッハ」の醸造長ルディー氏によるものです。二人は良き友人でありこれから様々なビールを醸造していく予定です。醸造規模が非常に少ないためにブルーパブとごく少数の友人へビールが送られる事になるでしょう。 閉じる  

  • カラコル醸造所について かたつむり醸造所「カラコル」 カラコルとはかたつむりを意味し、何にしても動じず、あわてない事やゆっくりと話すというナミュール州の人々に因んで名付けられました。 ベルギー南部ナミュール州のディナンから車で10分もかからないファルミニュールにある小さな小さな醸造所である。1990年にナミュールで創業し、1994年に現在の場所にて本格的に醸造を開始しています。カラコル醸造を説明するために、まずベルギーの中でも観光地でもあり、素晴らしい町並みを誇るディナンの町を知る事も大事です。 ブリュッセルから高速を走って1時間半~2時間程、ディナンの町のために高速をはずれるとすぐにムーズ川が目の前に現れます。案内の表を眺めれば左に行けばカラコル醸造所、右に行けばディナンの街が見えてきます。サイン一番下にBrasserie Caracoleとの表記も書かれています。 閉じる  

  • クリスマスビールについて ベルギーのクリスマスビールとは、それぞれの醸造所が冬の時期に合わせて特別に仕込むビールのこと。ウィンタービールやノエルビール(ノエルとはフランス語でクリスマスの意)とも呼ばれます。昔々、まだビールの長期保存の技術が乏しかった頃、醸造家たちはリコリスやクローブ、シナモンなどの様々なスパイスを使用し、ビールの長期保存を模索しました。ベルギーでは9月の終わり頃に仕込みを開始し、クリスマスからお正月にかけてこのビールが飲まれます。通常のビールに比べて、スパイスだけでなく、麦芽もふんだんに使用されており、それもとても贅沢なビールばかりです。クリスマスビールの明確な定義はありませんが、比較的アルコール度数が高く濃厚なものが多いのが特徴なので、クリスマスのお料理や味わいの濃いお料理に合わせるとより楽しめます。 また、アルコール分高い事で数か月~数年間寝かせる事で味わいが熟成されますので、例えば同じ銘柄でも1年前にとってあったものを今年のものと飲み比べてみる、大瓶と小瓶で飲み比べてみる、などクリスマスビールならではの楽しみ方もあります。 心も体も温まるクリスマスビール。寒い冬の時期にぜひゆっくりと味わってみてください。 閉じる  

  • グラゼントールン醸造所について Brouwerij De Grazen Toren グラゼントールン醸造所はブリュッセルとゲントの中間点、エルポメールに位置するマイクロブリュワリー。 ホームブリューから始めたジェフ、ディルクがゲントの醸造学校で醸造を本格的に学び、2004年に創業しました。現在はマルクが加わり3人で醸造所を運営しています。 ブリューマスターのジェフはもともと数学の博士号を持ちながら、ビールライターとしても活動をしていました。グラゼントールンのコンセプトは、トラディショナルなファームハウスエールのスタイルを最新の施設で造り、伝え、進化をしながら継承していくこと。 ジェフがグラゼントールンを始める上で一番影響を受けたビールは、ベルギー・エノー州からはじまる”セゾンビール”。彼の定義するセゾンビールとは、しっかりと発酵させた高炭酸でドライ、苦味は少なく穏やか、喉を潤すのに最適なビール。そのため彼の造るビールはどれもとってもドライできれいな泡立ちがあり、ホップも大量に使いつつも苦味は抑えた仕上がりになっています。 デュポン醸造所の三代目のマーク・ロジエとも親交が深く、セゾンデュポンを参考にしアドバイスを受けていることも公言しています。マークからはエノー州で造られていどんなセゾンよりもセゾンビールだと賞賛されています。 小規模な醸造施設ながら、伝統的な醸造プロセスと近代的な設備での醸造を両立させた、クオリティの高いビールは評判を呼び現在は世界中に輸出されています。 瓶内二時熟成を非常に大切にしボトルは大瓶のみ、ランビック等で使用されることのある紙巻きのスタイル。... 

  • グーズリー ティルカンについて Gueuzerie Tilquin グーズリーティルカンのオーナーでありブレンダーでもあるピエールティルカンは、2009年にブレンダリーを立ち上げました。ランビックブレンダーとしては実に12年ぶりの登場、現在は5つのランビック醸造所から若いランビックの原酒を買い、オーク樽で熟成。いくつかの種類の年代の異なるランビックをブレンドし時にはフルーツを漬け込んだりと、本格的な酸味のあるグーズやフルーツランビックを造っています。 ルーヴェン大学で醸造学を学んだ後、その後ランビックの醸造所では絶大な人気を誇るカンティヨンとドゥリーフォンテイネンで経験を積み、独立しました。ベルギー南部ワロン地域では唯一のランビックです。そしてブレンドにカンティヨンのランビックを使えるのは唯一彼だけです。 ハイクオリティで伝統的なグーズを、より多くの人に飲んでもらいたいとピエール氏は情熱を持って造っています。 フラッグシップである基本のグーズティルカンは伝統的なランビックには欠かせない酸味がありながらも非常にバランスが良く、グレープフルーツやレモンを思わせるタッチ、初めて本格的なグーズを飲む方にもおすすめです。 近年ではアメリカ、ヨーロッパでの需要に対応するためにブレンダリーを拡大し、毎年1銘柄新しいフルーツランビックを造るなど精力的に生産をおこなっています。 閉じる  

  • ゴールデンエールについて ゴールデンエールとは ゴールデンエールとは多くがストロング・ゴールデンエールのことを指し、簡単に言えば、高アルコール度数の金色の上面発酵ビール(エール)を指します。アルコールは7.5~9.5%の物が多く、高アルコール対する飲みやすさから残酷でシュールなブランド名が多くなっています。トラピストビールや修道院ビールのトリプルと色合いや初期比重、アルコール度が近いものとなっていますが、トリプルはゆっくりと味わいながら飲むように味わいが設計されておりその点に大きな相違があります。このゴールデンエールはビール評論家、マイケル・ジャクソン氏が自書”The Great Beers of Belgium”で分類し、日本でもよく使われていますが、マイケル・ジャクソン氏最後の著書となったの”The Great Beers of Belgium第5版”ではこの分類はなくなり、Wicked Beer... 

  • 皆さま!いかがお過ごしでしょうか?😆✨あっという間に桜の季節が終わり、GWが目前となりました!! GWのご予定はお決まりですか??『ピクニック』『BBQ』『外飲み』『久々に会う友人への手土産』『会う予定が会えなくなってしまった方へのギフト』『自分へのお疲れビール』などなど…ぜひRIO BREWING & CO.と共に素敵なGWをお過ごしくださいませ😊🍻💕   📅ゴールデンウィーク特別‼10%OFFセール期間📅 2023年4月18日(火)~4月24日(月) 🚙ゴールデンウィークのご注文スケジュール🚙 🍃4/26(水)のご注文 ⇒ 最短4/29(土)以降 ※首都圏以外…5/2(火)、九州・北海道…5/3(水)🍃4/27(木)のご注文 ⇒ 最短5/2(火)以降 ※首都圏以外…5/3(水)、九州・北海道…5/4(木) 🍃4/28(金)~4/30(日)のご注文 ⇒ 最短5/3(水)以降 ※首都圏以外…5/4(木)、九州・北海道…5/5(金) 🍃5/1(月)のご注文 ⇒ 最短5/9(火)以降 ※首都圏以外…5/10(水)、九州・北海道…5/11(木) 🍃5/2(火)~5/7(日)のご注文 ⇒ 最短5/10(水)以降 ※首都圏以外…5/11(木)、九州・北海道…5/12(金) 

  • サンフーヤン醸造所について Brasserie St-Feuillien「HISTORY」 サンフーヤン醸造所はブリュッセルの南西に位置するル・ルゥという小さな町に位置しています。 7世紀、アイルランド人のフーヤンがこの地を訪れ、殉教してしまいます。その後、1125年に彼の信仰者たちは殉教した地「ル・ルゥ」に修道院を建設し何世紀にも渡ってビールを造り続けます。フランス革命後に修道院は破壊され、醸造は止まってしまいますが、1873年にフリアー氏が伝統を引継ぎ、醸造再開。1920年には現在の場所に移動し醸造所を建設。その建物は現存しています。1950年から「サン フーヤン」シリーズの醸造を開始し、名前をサンフーヤン醸造所に変更して今に至ります。 BREWERY 年間40,000ヘクトリッターを醸造。65%はベルギー国内で消費され、35%は30カ国以上へ輸出されています。伝統を継承しアベイビールを醸造しながらも積極的に新商品を造り出し、ワールドビアアワードやヨーロピアンビアスターなど数々の品評会で賞を獲得。ヨーロッパ諸国、アメリカを中心として世界的に評価が高く、最近ではアメリカ西海岸サンディエゴにあるクラフトブリュワリーGreenFlashBrewingとのコラボレーションなども行っています。2016年春、ブラッセルズ30周年を記念してコラボレーションビール「リミテッド・エディション ナンバーワンフロムサンフーヤン」をリリース。2017年も引き続きサンフーヤンリミテッドエディションNO.2(バーレーワイン)のリリースも控えています。 伝統に裏付けされた技術で新たなチャレンジを続ける伝統と革新の醸造所です。  閉じる  

  • シリー醸造所について ブリュッセルとトゥルネーの中間に位置するエノー州小さな村シリーには村の名前と同じシリー醸造所があります。1850年から家族経営が長く続いており、約100年前の第一次世界大戦ではドイツ軍に釜を没収されないように釜を黒く塗りたくり鉄に見えないようにしてしのいだなどの逸話も数多く残っています。5代目は醸造責任者で兄のジーンポール・バンデホーゲン氏と、経営とマーケティングや販売・輸出を行う弟のディディア・バンデホーゲン氏の二人ですが、実際はそれぞれの息子であり従兄弟となる6代目のベルトロン氏とリオネル氏が親と同じく醸造と販売に分かれてすでに次の代への引き継ぎが行われています。 長く続く伝統的なセゾンビール セゾンビールとはシリー醸造所も存在する穀倉地帯であるエノー州にて農家が冬場に農家が自らの麦を使って醸造し、夏場の農作業中に喉を潤すために飲まれたビールが起源となっています。当時のセゾンビールは現在のセゾン・デュポンのようなメインストリームともいえるブロンド色ではなく、赤みがかったものが多かったといえます。一説によれば農家が自分で麦を焙燥して麦芽を作っていたのだが精麦所のようにきれいな金色の麦芽を作れなった事がその理由ともされています。また1920年代までセゾンビールは現在のセゾンデュポンやフォーセゾンと違い、ホップをきかせた若いビールと酸味のある古いビールをブレンドさせるものが数多く存在していました。そして醸造所によってはそれを樽で寝かせる事で醸造されていたものも数多く存在していたと言います。この醸造所のセゾン「セゾン・シリー」は樽で寝かせる事はしないが新しいビールと古いビールをブレンドするという点や赤褐色であるという点、醸造されはじめてからレシピを変えていないという点においてセゾン シリーは当時からのセゾンの味わいを知る意味において重要なビールと言えるのではないでしょうか?デュ・ボック醸造所もセゾンビールをブロンド色にリニューアルしてブランド名を変えるなどセゾンビールも変化してきている事や2000年以降アメリカのクラフトビールもセッションエールに多くのものがセゾンという名を冠しており、今後もセゾンビールとはという論議の中でベルギーの古くからのセゾンビールは注目を浴び続けることでしょう。 閉じる  

  • 未設定 

  • セゾンビールについて セゾンビールとはベルギーきっての穀倉地帯であるエノー州を中心に農家が農作業中の喉を潤すために手の空く冬場にビールを仕込んでいたものが起源で、農作業中や仕事後に飲むためであったため比較的低アルコールのビールが多くを占めます。昔ながらのベルギーの典型的なファームハウスを使いながらの醸造所も数多く存在します。 閉じる  

  • セント ベルナルデュス醸造所について 1946年醸造を開始。 修道院からライセンスをもらい醸造するという 修道院ビールの一番初めはこの醸造所が最初である。ライセンスは現在、世界一のビール、トラピストビールとして有名な 「ウェストフレテレン」を醸造する「セント・シクステュス修道院」からの ライセンス生産だった。 世界初の修道院ビール 第2次世界大戦直後、トラピストの僧侶、St. Sixtusセント・シクステュスは現在世界一のビールとも言われる彼等のビール「ウエストフレテレン」を売る事を止めると決めました。取り決めは次のようなものでした。トラピスト修道院の中では、修道院内で消費する分だけのビールを作り、修道院の入り口と、修道院に関係しているいくつかの宿泊所だけで一般の人に売る。一方、デコーニンク氏は許可を得て1946年よりトラピストビールを製造して売ることにしました。ビールの元となる水はジャン・ヌ・ダルクの時代からもたらされた地下水が150メートルもの醸造所の地下より採取されています。チーズ工場の隣に新しいブルワリーが建てられ、ウエストフレテレンの醸造長(修道士)(彼は知識も造詣も深かった。)の助けを借りて、デコーニンク氏はセント・シクステュスのビールを製造しはじめます。もちろんこのビールはウエストフレテレンに勝るとも劣らないという味わいとなりました。60年代の初め、デコーニンク氏の義理の息子クラウス氏がブルワリーに関わりはじめ、ライセンスを更新する交渉をしました。1962年にライセンスは30年の期限(1992年まで)で更新されました。しかし1992年に契約は終了となります。トラピスト修道院は、「Trappistenbierトラピストビール」の品質はトラピスト修道院の中で製造されたビールのみに保証されると決めたからです。1992年以来、ワトゥのTrappistenweg 23(トラピストの道)で製造されたビールは新しいブランド名「St.Bernardus」(ノートルダム・ド・セント・ベルナルデュスに関連している)で売られています。世界一のビールとも言われる、ウエストフレテレン・アブトに勝る物があるとすれば同じ血筋のセント・ベルナルデュス・アブトが挙げられるでしょう。 ピエール・セリス氏とセント・ベルナルデュス... 

  • タンブラー型のベルギービール 

  • 詳細を見る 西フランダース州コルトレイクから車で街を抜け高速に乗ればすぐにヴィヒテの町へとたどり着くことが出来ます。 1892年ポール・ヴェルハーゲによってこのヴィヒテの町に精麦所、そして醸造所として産声をあげました。 第一次世界大戦よりも前の時代、鉄道がブリュッセルとヴィヒテを結ぶこととなりヴェルハーゲ醸造所のビールはブリュッセルでも販売される事となります。 しかし第一次世界大戦にて重要な位置を占めたベルギーはドイツ軍に占領され、そのドイツ軍へのビールの供給を拒んだポールは醸造所を解体されると共に銅製の釜や鉄を欲したドイツ軍にそれらを徴収されてしまいます。 閉じる